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時事通信社
著者 石川正敏
昭和38年10月20日 初版2200部
【状態】
函 …ヤケ、スレあり。
本文…最初の方のページと53ページにシミあり(画像13・14)
他のページは綺麗な状態です。
2200部の内の一冊。貴重です。
木村武雄は山形県米沢市に生まれる。
市議、県議を経て1936年の第19回衆議院議員総選挙に当時最年少の32歳で初当選。中野正剛率いる東方会に入党。さらに、石原莞爾率いる東亜連盟に属して東條政権にたてつき、1942年の翼賛選挙では非推薦で当選。
武雄の名を一躍有名にしたのが1943年3月6日の翼賛政治会代議士会における一騒動であった。木村は戦時刑事特別法中改正法律案委員会の理事として同改正案に反対の立場をとり代議士会でも真崎勝次や小山亮らとともに同委員会の浜野徹太郎委員長による事実と異なる報告に異議を唱えたが、翼政会総務で主流派の津雲国利が「そういうことはこの俺が許さん」と大手を広げて言ったので反主流派の中谷武世が「俺が許さんとは何を生意気な、津雲をやっつけろ」と叫びそれに応じて木村は津雲に飛び掛っていった。木村はこのことにより武闘派政治家としてその名が知られることになった。その後大日本政治会の結成には参加せず護国同志会に参加。
戦後日本自由党の結党に参加したが公職追放。
1952年の第25回衆議院議員総選挙にて山形1区から返り咲き当選を果たし、政界復帰。保守合同後は佐藤栄作派(周山会)に所属。1967年に第2次佐藤内閣第1次改造内閣の行政管理庁長官兼北海道開発庁長官。他派の福田赳夫への政権移譲を画策する佐藤首相に対して、木村は自派の田中角栄への後継指名を要望し続けた。この執拗さに怒った佐藤は木村を派閥から「破門」すると言い渡すが、このことについて木村は「田中のために動けるよう恩情をかけてくれた」と言ってのけている。田中派が佐藤派から分離するとこれに属し、1972年に第1次田中角栄内閣の建設大臣兼国家公安委員会委員長。
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